年金が増えても財布が軽い理由は、「親切代」という名の見えない支出だった

2026年5月24日。暦の上では小満を過ぎ、草木がぐんぐん伸びるころです。九州あたりでは、そろそろ梅雨前の湿った風を感じる日もあります。朝、窓を開けると、庭の紫陽花の葉が少し大きくなっていて、「季節は待ってくれないな」と感じます。
今年の年金は増額というニュースもありました。2026年度の年金額は、国民年金が1.9%、厚生年金がおおむね2.0%増額とされています。けれど、物価の上がり方を考えると、「増えた」というより「減り方が少しやわらいだ」と感じる方も多いかもしれません。
今回、私があえて取り上げたいのは、食費でも医療費でもNISAでもありません。
それは、老後のお金を静かに削っていく「親切代」です。
親切代とは、誰かに頼まれたわけではないけれど、つい出してしまうお金です。孫にちょっと渡すお小遣い。近所の人への差し入れ。昔の同僚との食事で多めに払う会計。町内の付き合い。親戚への手土産。香典やお見舞い。家族が来たときの外食代。
ひとつひとつは悪いお金ではありません。むしろ、人生経験を重ねた人ほど、こういうお金を大切にします。
しかし、怖いのはここです。
親切代は、家計簿に「浪費」として出てこないのです。
ロリポップレンタルサーバー10日間無料お試しはこちら「ケチと思われたくない」が老後資金を削っていく
60歳を過ぎると、お金の使い方には不思議な見栄が出てきます。
若いころの見栄は、車や時計や服だったかもしれません。けれど、年を重ねてからの見栄は、もっと静かです。
「ここは俺が出すよ」
「孫が喜ぶなら、まあいいか」
「手ぶらでは行けないな」
「昔世話になったから、少し包んでおこう」
こういうお金は、心の中では“必要経費”になっています。
でも、年金生活に入ると、収入は大きく増えにくくなります。第一生命の老後資金解説でも、老後に必要なお金は毎月の生活費だけでなく、医療費や介護費、リフォーム費などの臨時支出も考える必要があるとされています。(第一生命)
つまり、本当は「予備費」を残しておきたい時期なのです。
ところが、親切代はその予備費を少しずつ食べていきます。
たとえば、月に1万円だけだと思っていても、年間では12万円です。月に2万円なら、年間24万円です。10年続けば240万円です。
これは小さくありません。
私は朝、いつものように湯を沸かして、少し濃いめのお茶を飲みながら家計簿を眺めることがあります。食費、電気代、保険料、通信費。そこまでは見えます。
でも、見えにくいのが「人に使ったお金」です。
それは自分を責めるお金ではありません。けれど、老後資金を守るためには、見える形にしておく必要があります。
優しさは大事です。
でも、優しさを毎回財布で証明しなくてもいいのです。
年金生活で本当に危ないのは「固定費」より「断れない変動費」
老後資金の記事では、よく固定費の見直しが語られます。
保険、スマホ、サブスク、車、住宅費。もちろん大事です。
しかし、60代以降に意外と厄介なのは、断れない変動費です。
冠婚葬祭。地域の付き合い。親戚づきあい。子ども夫婦への援助。孫の誕生日。帰省時の食事代。お盆や正月の準備。
こうしたお金は、毎月決まって出るわけではありません。だから油断します。
しかも、出すときに気持ちが絡みます。
「これくらい出さないと格好がつかない」
「年長者だから少し多めに」
「今さら少なくするのも恥ずかしい」
この“恥ずかしい”が、なかなか手強いのです。
私は、老後のお金で一番大事なのは、節約根性ではなく「線引き」だと思っています。
たとえば、孫へのお小遣いは年に何回まで。親戚への手土産は上限いくらまで。外食でおごるのは誕生日や節目だけ。町内や知人への差し入れは、無理のない範囲だけ。
こう決めておくと、心が楽になります。
なぜなら、その場で迷わなくてよくなるからです。
老後のお金で疲れるのは、金額そのものよりも「毎回どうしよう」と悩むことです。悩むたびに、結局多めに出してしまう。これが一番もったいないのです。
財布を守るというのは、人間関係を切ることではありません。
むしろ、無理なく長く付き合うための準備です。
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先日、私は古い封筒を整理していました。
梅雨前になると、なぜか引き出しの中まで湿っぽく感じます。昔の領収書、年金関係の書類、病院の明細、使いかけの切手。そういうものを一つずつ見ていると、人生の小さな支払いが積み重なっているのがわかります。
その中に、何年も前のメモがありました。
「〇〇さん退職祝い」
「孫 入学祝い」
「近所 お見舞い」
「兄 食事代」
「同窓会 二次会」
金額を見ると、どれも大きくはありません。
でも、合計すると驚くほどの額でした。
私はそのとき、少し苦笑いしました。
「ずいぶん人に使ってきたな」
そう思ったのです。
けれど、もっと驚いたのは、そのあとです。
よく見ると、一番多かった支出は、誰かへの贈り物ではありませんでした。
一番多かったのは、「自分が寂しくならないために払ったお金」だったのです。
誘われた飲み会を断れなかったのも、親戚に多めに包んだのも、孫に必要以上に買ってしまったのも、全部、相手のためだけではありませんでした。
「まだ頼られる自分でいたい」
「まだ気前のいい男でいたい」
「まだ家族の中心にいたい」
そういう気持ちに、私はお金を払っていたのです。
ここが今回のびっくりするところです。
親切代だと思っていたお金の正体は、実は「自分の存在確認代」だったのかもしれません。
そう考えると、老後資金の守り方は変わります。
ただ節約するのではなく、自分の居場所をお金以外で作ることです。
孫には高い物を買うより、一緒に散歩する。家族にはごちそうするより、昔の話を聞かせる。友人にはおごるより、また会おうと素直に言う。近所には差し入れより、朝の挨拶を欠かさない。
お金を使わない親切は、意外と長く残ります。
年金が増えたか減ったか。退職金をどう運用するか。NISAをどうするか。
もちろん、それも大事です。
でも、60代から本当に見直したいのは、財布の中身だけではなく、「お金を出さないと自分の価値が下がる」と思い込んでいた心の癖なのかもしれません。
今日、もし財布を開く前に一度だけ立ち止まれたら、それだけで老後資金は少し守られます。
そして、自分自身も少し軽くなります。
お金でつなぐ関係より、お金を使わなくても残る関係。
これからの老後に必要なのは、案外そちらなのかもしれません。


