なぜ人は、お金がないと誤った選択をしてしまうのか?

六月二十七日。暦の上では夏至を過ぎ、七十二候では「菖蒲華(あやめはなさく)」の頃です。梅雨の湿気が体にまとわりつき、朝の新聞を取りに出るだけで、背中にじんわり汗がにじむ季節です。私はこの時期になると、財布の中身まで湿って重たくなるような気がします。電気代、食費、ガソリン代、病院代。ひとつひとつは小さく見えても、年金生活や収入が細くなった暮らしの中では、どれも心に引っかかるものです。
今日の話は、単に「お金がないと困る」という話ではありません。もっと厄介で、もっと人間らしい話です。人はお金がないと、なぜか「さらにお金を失いやすい選択」をしてしまうことがあります。冷静に考えれば避けられるはずの契約をしてしまう。安いからと不要なものを買ってしまう。損を取り戻そうとして、危ない投資に手を出してしまう。病院代を惜しんで受診を先延ばしにし、あとで大きな出費になる。こういう話は、他人事のようで、実は六十代以降の暮らしにこそ深く関係しています。
若い頃なら、多少の失敗も「また稼げばいい」で済みました。ところが、六十代になると、取り返す時間も体力も限られてきます。だからこそ、お金が少ない時の判断ミスは、若い頃より重くのしかかります。私はこのテーマを、少し恥ずかしい気持ちも込めて書いています。なぜなら、私自身も「お金がない時ほど、変な買い物をしてしまう男」だったからです。
■>>9年連続WEB売上No.1 ウルトラ育毛剤 「チャップアップ(CHAPUP)」「今月だけ何とかしたい」が、未来の自分を置き去りにします
お金に余裕がない時、人の頭の中はとても狭くなります。たとえば、冷蔵庫に卵が三つ、納豆が一パック、財布に千円札が一枚だけあるとします。その状態で考えるのは、「十年後の資産形成」ではありません。「今日の晩ごはんをどうするか」です。これは怠けているからでも、知識がないからでもありません。目の前の不安が大きすぎると、人は自然と、目の前のことしか見えなくなるのです。
この状態で一番危ないのは、「とりあえず」という言葉です。とりあえずカードで払う。とりあえずリボ払いにする。とりあえず高配当と書いてある株を買う。とりあえず無料相談に行く。とりあえず一番安いものを選ぶ。どれも、その瞬間だけは正しいように見えます。しかし、あとから振り返ると、その「とりあえず」が一番高くついていることがあります。
六十代の暮らしでは、毎月の固定費がじわじわ効いてきます。スマホ代、保険料、サブスク、車の維持費、昔から入っている会費。若い頃は気にも留めなかった三千円、五千円が、年金生活では妙に大きく感じられます。ところが不思議なことに、人は本当に見直すべき固定費には手をつけず、目の前の昼食代や交際費ばかり削ってしまいます。
たとえば、友人との喫茶店代八百円を惜しんで家にこもる一方で、使っていない保険や通信契約を何年も放置している。これは冷静に見れば逆です。八百円の喫茶店は、孤独を防ぐ薬になることがあります。しかし、使っていない固定費は、ただ財布から流れ出る水です。梅雨の雨漏りと同じで、ポタポタ落ちている間は小さく見えますが、気づけば畳まで傷んでいるのです。
お金がない時、人は「削りやすいもの」から削ります。けれど、本当に削るべきなのは「気まずくて見直していないもの」です。長年の付き合いで入った保険。店員に勧められて契約したオプション。家族に見栄を張って続けている贈り物。ここに手をつけるには、少し勇気がいります。だから、つい自分の楽しみを削ってしまうのです。
安物買いより怖いのは「安心を買ったつもり」の出費です
六十代になると、買い物の失敗にも種類が変わってきます。若い頃の失敗は、勢いで買った服や趣味の道具だったかもしれません。しかし年を重ねると、「安心」を買うつもりで失敗することが増えます。健康食品、保険、投資話、終活サービス、防犯グッズ、見守りサービス。どれも必要な人には大切なものです。問題は、不安が強い時ほど、内容をよく見ずに「これで安心できるなら」と財布を開いてしまうことです。
特に怖いのは、説明を聞いているうちに「断る力」が弱くなることです。こちらは年金、病気、老後、介護、物価高で頭がいっぱいです。そこへ相手が優しい声で、「今なら」「皆さん入っています」「将来のためです」と言ってくる。すると、こちらは契約内容よりも、「この不安から早く解放されたい」という気持ちで判断してしまいます。
これは投資でも同じです。NISAや配当株そのものが悪いわけではありません。むしろ、仕組みを理解して使えば、老後の暮らしを支える道具になります。ただし、お金がない時に「毎月の生活費を埋めるための投資」を始めると、危ない方向へ行きやすくなります。株価が下がった時に待てない。配当だけを見て中身を見ない。損を取り戻そうとして、さらに大きく張る。こうなると、投資ではなく、焦りの置き場所になってしまいます。
私が六十代の方に伝えたいのは、「お金が少ない時ほど、大きな決断をしない」ということです。お腹が空いている時にスーパーへ行くと、余計なものを買ってしまいます。それと同じで、心が飢えている時に保険や投資や大きな買い物を決めると、必要以上に安心を買おうとしてしまいます。
では、どうすればいいのでしょうか。私は、紙に三つだけ書くことをおすすめします。一つ目は、今月必ず払うお金。二つ目は、三か月以内に必要なお金。三つ目は、本当はやめたいのに続けているお金です。これだけで、頭の中の霧が少し晴れます。六月の湿った空気の中でも、窓を少し開けると風が通るように、お金の不安も見える形にすると、少し呼吸がしやすくなります。
そしてもう一つ。お金の相談は、できれば「売る人」ではなく「一緒に整理する人」にしてください。商品を売る人が全員悪いわけではありません。しかし、不安な時の私たちは、相手の親切と商品の必要性を混同しがちです。優しい人から勧められたものほど、断りにくいのです。
最後に分かった、私の一番の無駄遣いは「節約」でした
ここから少し、私の作り話のような本当っぽい話をします。ある六十代の男がいました。年金だけでは少し心細く、貯金も十分とは言えません。彼は毎日、節約に励んでいました。朝は安い食パン、昼は袋麺、夜は値引きの総菜。エアコンはなるべく使わず、暑い日は扇風機で我慢しました。友人から喫茶店に誘われても、「今月は厳しいから」と断りました。
彼は自分では、堅実に暮らしているつもりでした。ところが、ある夏の朝、体がだるくて起きられなくなりました。病院に行くと、栄養不足と軽い脱水、そして持病の悪化を指摘されました。医師から「もう少し早く来ていれば、ここまで悪くならなかったかもしれません」と言われました。その月の医療費と薬代は、彼が半年かけて削った喫茶店代より高くなりました。
それでも彼は、まだ気づきませんでした。「やっぱり健康は金がかかる」と思ったのです。ところが帰り道、病院の待合室で偶然、昔の友人に会いました。その友人は、毎週一回だけ喫茶店に行き、そこで人と話し、帰りに少し歩く習慣を持っていました。特別にお金持ちではありません。けれど、顔色がよく、よく笑っていました。
その時、彼はようやく気づきました。自分が削っていたのは、コーヒー代ではなかったのです。人と会う時間、外へ出る理由、体を動かすきっかけ、気分を明るくする小さな習慣。つまり、老後の健康を支える土台を削っていたのです。
ここが、今日の話のびっくりするところです。お金がないと、人は無駄遣いをするだけではありません。反対に、「必要な支出まで無駄だと思い込む」という誤った選択もしてしまうのです。節約しているつもりで、未来の医療費を増やしている。慎重に生きているつもりで、孤独を深めている。貯金を守っているつもりで、生きる力を削っている。これはなかなか気づきにくい落とし穴です。
老後のお金で大事なのは、単に「使わないこと」ではありません。「何を残し、何をやめるか」を決めることです。食費を削りすぎて体を壊すなら、それは節約ではなく前借りです。人付き合いを全部やめて気持ちが沈むなら、それは倹約ではなく孤立です。投資を怖がって何もしないのも危険ですが、焦って飛びつくのも危険です。結局、お金がない時ほど必要なのは、根性ではなく、判断を急がない仕組みなのです。
私は最近、財布が寂しい時ほど、すぐ決めないことにしています。買う前に一晩置く。契約前に誰かに話す。投資する前に生活費三か月分を別にする。病院代と食事代と人に会うお金は、最後まで削らない。こう書くと当たり前に見えますが、この当たり前が、お金の不安の中では一番難しいのです。
六月の終わり、もうすぐ夏越の祓です。半年分の厄を落とすように、財布の中の不安も一度、紙に書いて外へ出してみてください。お金がない時に誤った選択をしてしまうのは、あなたが弱いからではありません。不安で頭の中がいっぱいになり、視野が狭くなっているだけです。だからこそ、六十代からは「頑張って節約する人」より、「間違えないように立ち止まれる人」が強いのです。
最後にもう一度だけ言います。老後に一番怖い無駄遣いは、高い買い物ではないかもしれません。本当に怖いのは、必要な楽しみ、必要な健康、必要な人とのつながりまで削ってしまうことです。お金を守るつもりで、自分の毎日を粗末にしてはいけません。財布の残高より先に、今日の自分の機嫌と体を守ること。それが、六十代からの一番堅実なお金の使い方なのだと思います。


