新NISAの前に「増やさないお金」をつくる――生活防衛資金が老後の投資を長続きさせる

七月八日。昨日の七夕が終わり、暦の上では「小暑」に入ったばかりです。七十二候では「温風至(あつかぜいたる)」の頃で、少しずつ熱を帯びた風が吹き始める時期とされています。
朝のうちはまだ歩けると思って外へ出ても、帰る頃にはシャツの背中が汗ばんでいます。若い頃なら気にせず動けましたが、六十代になると、暑さを我慢すること自体が立派な危険です。
水分を取り、無理をせず、早めに休む。
お金の管理も、実はこれとよく似ています。
新NISAと聞くと、「早く始めなければ損をする」「非課税枠をできるだけ埋めたい」と気持ちが急きます。
現在のNISAには、つみたて投資枠と成長投資枠があり、両方を併用できます。しかし、制度の器が大きいからといって、自分の財布まで急に大きくなったわけではありません。
金融庁も、NISAを投資の基本やメリット、デメリットを理解したうえで利用する制度として案内しています。大切なのは、枠を使い切ることではなく、相場が下がったときにも生活を崩さず、投資を続けられる形をつくることです。
そのために、新NISAより先に用意しておきたいのが生活防衛資金です。
生活防衛資金とは、病気、けが、失業、災害、家電の故障など、予定外の出来事が起きたときに生活を維持するためのお金です。一般には、必要なときにすぐ引き出せる普通預金など、値下がりの心配が小さい場所に置くことが勧められています。
六十代の生活防衛資金は、若い世代と同じ計算だけでは足りません。
働いている人でも、再就職や仕事の増加によって収入を取り戻すまでに時間がかかることがあります。年金生活に入れば毎月の収入は比較的安定しますが、医療、介護、住宅修繕、車の買い替えといった大きな支出が近づきます。
つまり、六十代では「収入が止まる危険」だけでなく、「まとまった支出が重なる危険」にも備える必要があるのです。
生活費の六か月分ではなく、「三つの財布」に分けて考える
生活防衛資金について調べると、「生活費の三か月分」「六か月分」という目安をよく見かけます。
毎日が発見ネットでも、貯金がない人の最初の目標として、生活資金、必要資金、緊急資金を合わせ、毎月の生活費の三~六か月分を目指す考え方が紹介されています。
ただし、六十代の私は、ひとまとめにして「百万円あれば安心」と考えるのは少し危ないと思っています。
おすすめしたいのは、お金を三つの財布に分ける方法です。
一つ目は、毎月の暮らしを守る財布です。
食費、光熱費、通信費、保険料、固定資産税、車の維持費など、何もしなくても出ていくお金を確認します。
ここでは旅行代や趣味代を含めず、「最低限、落ち着いて暮らせる金額」を出します。
たとえば夫婦二人で最低生活費が月二十二万円なら、六か月分で百三十二万円、一年分なら二百六十四万円です。
「一年分も必要なのか」と感じるかもしれません。
しかし、自営業や再雇用で働いている人の場合、病気やけがで仕事ができなくなると、収入が想像以上に長く減る可能性があります。会社員時代のように、毎月決まった給料が入るとは限りません。
二つ目は、近い将来に使う予定の財布です。
車検、タイヤ交換、給湯器、冷蔵庫、エアコン、屋根や外壁の補修、冠婚葬祭などです。
予定が完全に決まっていなくても、「五年以内に起きそうなこと」を紙に書き出します。
新NISAへ回してはいけないお金は、今月使うお金だけではありません。数年以内に使う可能性が高いお金も、株価の上下にさらさないほうが安心です。
プレジデントオンラインでも、生活防衛資金や近い将来に使う予定のお金を先に分け、残った余裕資金を投資に回す順番が重要だと指摘されています。
六十代になると、家も車も人間と一緒に年を取ります。
先日まで元気だった冷蔵庫が、ある朝突然うなり声を上げることがあります。夏の盛りにエアコンが動かなくなれば、「安くなるまで待とう」とはいきません。
家電量販店へ行き、値札を見ながらため息をつき、それでも買わなければならない。こうした出費は、相場の都合を待ってくれません。
三つ目は、病気や介護に備える財布です。
六十代になると、収入が途絶えることよりも、通院の回数が増えたり、家族の介護で予定外の支出が出たりする可能性が現実味を帯びてきます。
リタイア後は、現役時代の生活防衛資金をそのまま持つのではなく、医療・介護準備金、日常生活費、将来使う資金、運用資金に分け直す考え方もあります。
私なら、六十代で新NISAを始める場合、まず最低生活費の六か月から一年分を現金で確保します。
そのうえで、五年以内の大きな支出を別に積み上げ、医療・介護用のお金も分けます。
自営業、住宅が古い、車が必須、扶養家族がいるという人は、やや多めにします。反対に、年金収入が安定し、持ち家の修繕が済み、医療費に備える貯蓄も十分という人は、必要額を少し抑えられるかもしれません。
重要なのは、世間の平均額ではなく、自分の暮らしが何か月持つかです。
生活防衛資金は、見栄を張る数字ではありません。
「わが家はこの金額なら、夜にきちんと眠れる」
そう思える数字でよいのです。
六十代の投資で怖いのは、値下がりより「安値で売らされること」
投資を始めると、値上がりした日は機嫌がよくなり、値下がりした日は口数が減ります。
私も似たようなものです。
朝、新聞より先に株価を見てしまうと、せっかくの味噌汁の味まで変わる気がします。
しかし、本当に怖いのは値下がりそのものではありません。
相場が下がっているときに、生活費や修理代が必要になり、損を承知で売らなければならなくなることです。
たとえば、新NISAで三百万円を投資した直後に相場が二割下落すれば、評価額は二百四十万円になります。
そのとき給湯器が壊れ、さらに車の修理で五十万円必要になったとします。
現金がなければ、下がった投資信託を売るしかありません。
値下がりは一時的だったとしても、一度売った部分は回復を待てません。生活防衛資金があれば、修理代は現金から払い、投資はそのまま時間に預けられます。
つまり、現金は「増えないお金」ではありません。
投資資産を安値で売らずに済ませる働きをするお金です。
利息だけを見れば地味ですが、相場が荒れたときには、最も頼りになる防波堤になります。
新NISAでは非課税という言葉が目立ちますが、非課税は利益が出たときの恩恵です。
生活費が足りず、値下がり中に売れば、非課税以前に利益そのものがありません。
ですから、最初に考えるべきは「何を買うか」よりも、「何が起きても何年売らずにいられるか」です。
毎日が発見ネットでは、生活防衛資金を預貯金や個人向け国債など、円建てで元本の安全性を重視した商品に置き、もうすぐ使うお金を分けたうえで、老後資金の一部を運用する考え方が紹介されています。
ただし、緊急時にすぐ使うお金は、換金手続きや入金までの日数も考え、少なくとも一部を普通預金に置くほうが扱いやすいでしょう。
私は、生活防衛資金用の口座のキャッシュカードを、普段は持ち歩かないようにしています。
ネット銀行なら、目的別口座に「生活防衛」「家修理」「医療」と名前をつけます。
名前のないお金は、いつの間にか旅行代や家電の買い替えに消えますが、役割を書いたお金には、少し手を出しにくくなるものです。
そして、新NISAの積立額は、最初から満額を目指さなくて構いません。
月一万円でも、三万円でも、家計が苦しくならず、下落時にやめなくて済む額から始めます。
制度の上限は目標ではなく、あくまで上限です。
大きな器を渡されたからといって、毎年いっぱいに盛る必要はありません。
昔の私は、投資というものは、まとまったお金を一度に入れなければ意味がないと思っていました。
しかし、六十代になって考えが変わりました。
一度に大きく入れることより、家計を壊さず、小さくても続けられることのほうが大切です。
一万円の積立を十年続ける人と、百万円を投資して一年で怖くなってやめる人では、前者のほうが投資との付き合い方を身につけています。
生活防衛資金は、その「続ける力」を支える裏方です。
私が守ろうとしていたのは、老後資金ではなく「見栄」だった
ここからは、少し恥ずかしい話です。
知人に、新NISAを始めた六十代の男性がいました。仮に山田さんとします。
山田さんは退職金を受け取り、銀行預金に一千二百万円ほど持っていました。投資経験はほとんどありません。
それでも周囲が新NISAを始めたと聞き、「預金のままでは物価高に負ける」「今からでも増やさなければ」と焦ったそうです。
証券会社の口座を開き、まず三百万円を投資しました。
その後、相場が上がると、自分だけが取り残される気がして、さらに二百万円を追加しました。残った預金は七百万円です。
数字だけを見ると、十分な現金があるように思えます。
ところが、その年の夏、古い家のエアコンが故障しました。
修理では済まず、二部屋分の交換が必要になりました。続いて車のエンジンにも不具合が出ました。
さらに、離れて暮らす母親が転倒し、何度も実家へ通うことになりました。
交通費、宿泊費、家の手すり工事。
予定外の支出は、一つずつなら払えても、重なると心を削ります。
山田さんは投資信託を売ろうとしました。
しかし、ちょうど相場が下がっていました。
「ここで売ると損になる」
そう思った山田さんは、クレジットカードの分割払いを使い、車の修理代の一部はローンにしました。
ここまで聞くと、驚くべき展開は「結局、投資で大損した」という話だと思われるでしょう。
実は違います。
数か月後、相場は回復し、山田さんの新NISAは含み益になりました。
投資そのものは失敗していなかったのです。
それでも山田さんは、投資信託をすべて売却してしまいました。
理由は、損が怖くなったからではありません。
家族に「一千二百万円ある」と言っていた手前、実際には投資へ回して自由に使えないお金が増え、急な出費のたびに自分が小さくなっていく感覚に耐えられなかったからです。
山田さんが守ろうとしていたのは資産ではなく、
「自分は老後資金をきちんと持っている人間だ」
という見栄でした。
そして、もっと意外なことが起きました。
投資を全部やめたあと、山田さんは現金を三つに分けました。
生活費一年分、住宅と車の修繕費、母親の介護に備える資金です。
残ったお金から、わずか月二万円ずつ新NISAで積み立てることにしました。
以前は五百万円も投資していた人が、月二万円です。
金額だけ見れば、大幅な後退です。
ところが本人は、
「今のほうが、初めて投資をしている気がする」
と笑いました。
相場が下がっても、家が壊れても、母親に何かあっても、積立をやめずに済むからです。
私はこの話を聞いて、生活防衛資金は投資を始めるためのお金ではなく、投資をやめないためのお金なのだと気づきました。
新NISAで成功する人は、最初に多く入れた人とは限りません。
暴落時にも売らず、生活上の不意打ちにも耐え、淡々と続けられた人です。
その土台にあるのは、銘柄選びの知識よりも、手元の現金です。
七夕の短冊には、「資産が増えますように」と書きたくなります。
しかし六十代の願い事としては、
「慌てて売らなくて済みますように」
のほうが、ずっと現実的かもしれません。
小暑の熱い風が吹く今の時期、投資にも涼しい逃げ道を残しておきたいものです。
新NISAを始める前に、まず通帳を開き、毎月の最低生活費を確認してください。
次に、五年以内に必要になりそうなお金を書き出してください。
そして、医療、介護、住宅、車のための資金を分けてください。
そこで残ったお金が、本当の意味で投資に回せる余裕資金です。
増やすことを急がなくても大丈夫です。
六十代の投資は、速さを競うものではありません。
生活を守りながら、使う時期まで静かに育てるものです。
生活防衛資金は、投資を邪魔する現金ではありません。
それは、新NISAを途中で投げ出さないために、最初に買っておく「安心」という名の資産なのです。





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【参考にしたサイト】
・金融庁「NISA特設ウェブサイト」
・All About「生活防衛費は何のために、どのくらい必要なの?」
・毎日が発見ネット「もしもの時に慌てないための貯蓄術」
・毎日が発見ネット「リタイア後に投資できる金額の見極め方」
・毎日が発見ネット「60歳からの賢い投資術」
・PRESIDENT Online「家計を切り詰めて満額投資は危険」
・暦生活「七十二候・夏」
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