田舎暮らしのその前 アラフィフ(50歳位)の仕事・転職遍歴~その8~
道の駅での仕事も順調でした。
道の駅というところは、一般社団法人であったのだが、ほとんど役場の仕事のような感じでした。
売上をあげても、給料が上がるわけでもなく、逆に仕事をしなくても、給料は下がることはなかった。
国から下りてくる仕事、県から下りてくる仕事、市から下りてくる仕事もこなさなくてはなりませんでした。
ここには、自分の意思は関係なく、こなすだけです。
道の駅は、その受け皿の役割もしていました。
そんな中でも、いい仲間と仕事に恵まれ、日々を充実したものにしていました。
自分自身、すこし天狗になっていたところもあると思います。
肩書きがよくなると、その辺、にわか部長は勘違いしてしまうんですね。
仕事はスムーズに進むし、新しいオリジナルの商品はどんどんできるし、もっと違うステージでもやれるんじゃないかとか考え始めるのです。
少し調子にのっていました。
大変、居心地の良い職場となっていたのです。
そんな時、商品企画などを一緒にしていた、食品工場の社長さんから、またしてもお誘いのお声をかけていただいたのです。
しかもポジションもかなり高待遇でした。
私も、すっかり有頂天になってしまい、ついついオッケーしてしまったのです。
ここから人生がガラッと変わってきます。
働く場所は、県外であり車で1時間30分くらいかかるところ、通勤するにはちょっときついということで、単身赴任ということになります。
家族には、もう転職がきまった・・・・みたいな言い方をしたので、単身赴任にも驚いていました。
道の駅の従業員も驚いていました。ちゃんと立派な送別会もしていただきました。感謝。
みんなに迷惑をかけていたんですね。
そんあことは、ちっとも知らず、有頂天の私は、着々と単身赴任の準備を始めます。
県外の仕事場近くで、ワンルームのマンションをかりて、駐車場も確保。
とりあえず家を借りるための手数料などを払い、簡易ベッド、などを揃えとりあえず生活できるようにしました。
その他の家電製品などは後々そろえればいいやと思いまずは、住めるように。
道の駅を退職し、新しい食品加工の会社へ移るまでに1ヶ月ほど休みがありました。
ちょうど夏休みと重なったので、この時も、家族と一緒にすごし、普段は会えない遠くのいとこたちと、会うこともできました。
たまに、たくさんの休みがあると、やることがたくさんあります。
また、なかなか出会えなかった、いとこや中学校の同級生や最初に勤めたファーストフードの同期やアルバイトたちと会うこともできました。
このときは、ほんとにいろんな人に会いに行くことができました。