こんにちは。60代の「私」です。
今朝、食卓で目玉焼きを焼きながらテレビのニュースをぼんやり見ていたら、「石破政権、支持率30%を割る」と報道されていました。思わず、フライパンの上の黄身を少しつぶしてしまったほど、なんだか心がざわついたのです。
政治といっても、私は何か詳しいわけでもないのですが、毎日の暮らしと無関係ではいられない年齢になりました。だから今日は、このニュースをきっかけに私の心に浮かんだあれこれを、ゆっくりと綴ってみようと思います。
支持率30%を割ったというけれど、数字の裏にある空気

朝のニュースは、短くて鋭い言葉で「政権末期」などと言います。けれど、その「末期感」って実は、数字のせいだけじゃないのかもしれません。
画面越しに映る石破総理の表情が、どこか疲れているように見えたのです。支持率という数字の下にある、国民の「気持ち」が見える気がしました。
私たち60代は、昭和の時代からいくつもの政権交代を見てきました。でも今ほど「政治が見えない」時代も珍しい気がしています。昔は良くも悪くも、顔が見えて、声が届く政治だった。
今は、テレビの向こうで誰かが誰かを責めて、ニュースがどこか「劇場」のようになっている。それに気づいたとき、ふと心が空っぽになるような寂しさを感じたのです。
「ああ、またか」と思う自分に、ちょっとだけ罪悪感を覚えることもあります。どこかで期待をあきらめている自分に、少し驚いた朝でもありました。
「政治とお金」の問題、他人事じゃないという実感
今回、支持率急落の原因の一つが「商品券の配布」と聞いて、私は最初「そんなことか」と思いました。けれどよくよく考えると、月に何万もの税金を納めてきた身からすると、「そんなこと」が大きな意味を持つのですよね。
私たち60代は、少しでも無駄な出費を減らそうと、スーパーのチラシで1円安い卵を探す日々。
その一方で、議員さんたちが10万円分のスーツ代の商品券を配っていたなんて聞いたら、「私たちの苦労は何なの?」と、つい思ってしまう。
思えば、夫が現役だったころ、背広を買うにもボーナスを待ってから買ったものでした。10万円のスーツなんて、デパートの催事でも手が出なかったっけ。そんな記憶がよみがえって、なんとも言えない気持ちになりました。
そして、何よりも心に残ったのは「説明がないこと」。なぜ配ったのか、誰にどうして、どんな意図で。それがないから、私たちはどこまでも疑ってしまう。説明のない誠実さほど、信頼を削るものはないのかもしれません。
政治への無関心、それが一番怖いことかもしれない
昔、母がこんなことを言っていました。「選挙に行かない人が一番文句を言うのよ」って。
若い頃はその意味がわからなかったけれど、今は痛いほどわかります。
政治に無関心になるというのは、人生を人任せにすること。
でも60代の私たちは、もう「人任せ」にできない世代です。
孫が生まれ、年金が気になり、医療費にため息が出る。
その全部が、政治とつながっているんですもの。
この歳になってようやく、「無関心が一番高くつく」と気づいた私。
テレビを見てぼやくより、まずは「知る」ことから始めたいと、最近は新聞をちゃんと読むようにしています。
この年齢になってくると、自分の「時間の使い方」が少しずつ変わってくるのを感じます。何かを知ることで、世界が少し近くなる。それが少しうれしいのです。
一人で台所に立つとき、ラジオのニュースに耳を傾ける習慣ができました。昔は音楽ばかり聴いていたけれど、今は「今の空気を感じたい」と思うようになったのです。
夫のつぶやきに気づかされたこと
昨晩のことです。テレビでニュース番組を見ながら、夫がぽつりとつぶやきました。
「昔はもっと、まっすぐだったような気がするな…政治家も、世の中もさ」
いつもはニュースを見ながらすぐ寝てしまう夫が、そんなことを言うなんて珍しくて、私は少し驚きました。
その言葉には、昭和の時代を生き抜いてきた人なりの実感が込められていた気がします。嘘をつく人もいたけど、どこか筋が通っていて、裏表がわかりやすかった。
今のように、表向きはにこやかで、裏で何を考えているのかわからない人たちに囲まれていると、「まっすぐさ」という言葉が、どれほど希少で尊いものか、胸にしみました。
「ほんとね…まっすぐって、こんなにありがたかったのね」
そう返しながら、私は自分の言葉に自分でうなずいていました。
日常の何気ない会話の中に、小さな真実が紛れている。夫婦で過ごす静かな夜に、ふとそんなことを思ったのでした。