貯金額より怖かったのは見ないことだった、今さら気づいたお金との向き合い方

今朝は、冬の空気がいつもより乾いていて、ベランダに出た瞬間に鼻の奥がツンとしました、こういう朝はコーヒーの香りがやけに濃く感じられて、湯気の向こうに自分の生活の輪郭が浮き上がるようで、少しだけ気持ちが落ち着きます。
ただ、落ち着いたのはそこまでで、台所の隅に置いたままの郵便物の山が視界に入った瞬間、胸の奥が「キュッ」と縮む感覚がありました。
郵便受けから回収して、とりあえず置いた紙の束、チラシ、自治体のお知らせ、銀行っぽい封筒、保険っぽい封筒、そして“それ”が混じっているのが分かるから、見て見ぬふりをする速度だけが上がっていく。
60歳にもなって、封筒ひとつで気分が左右されるなんて情けない、そう思いつつも、私はその山を今日も丁寧に“避ける”準備をしていました。
でも、今日は違いました。
違ったのは、勇気が湧いたからではなくて、もっとみっともない理由です。
ゴミの日で、資源ごみをまとめるために、山を一度どかさないといけなかっただけ。生活って、だいたいこういう“仕方なく”で動くものですね。
開けない封筒が、机の引き出しに増えていく
紙の束を持ち上げたら、下からもう一つ、薄い封筒が出てきました。
見覚えのある色味と、見覚えのある角ばった印字、見覚えのある「あなたへ」という距離感のない宛名。私は思わず息を止めて、手の中のそれを裏返し、また表に戻し、結局、しばらくテーブルの上に置いたまま固まっていました。
誰にも言わなかった本音をここに書くなら、こうです。
「もし、思ったより少なかったら、今日一日が崩れる」
この歳になっても私は、数字で自分の価値が決まる気がしてしまう瞬間があるし、未来が“確定”してしまうのが怖くて、確定させないために目をそらす癖が残っています。
若い頃は、もっと雑に目をそらしていました。
「今は忙しい」「そのうちやる」「稼げるようになったら考える」「老後なんてまだ先」
そう言って、考えないことに慣れて、考えない自分を守って、そして気づいたら、考えない期間のほうが人生の大半を占めていた。
今朝の私は、その延長線上に座っているだけでした。
でも今日は、資源ごみの紐を手に持ったまま、封筒を“開けない理由”が、金額そのものよりも、もっと情けないところにあると気づいてしまったんです。
私は、金額が怖いんじゃない。
自分が無関心だった時間の長さが怖いんだ、と。
「少ないかも」より、「見てこなかった」が刺さる
はさみを入れる音って、たったそれだけで、意外と心臓に響きますね。
私はゆっくり封を切って、中身を引っ張り出して、視線を一点に集めないようにしながら、部屋の明るさまで気にし始めました、妙に現実逃避が細かい。
数字は、正直、思っていたほど悪いものではありませんでした。
もちろん「安心!」なんて言えるほど余裕があるわけじゃないし、眩しい未来が急に降ってくるわけでもない。
でも、最初に胸を刺したのは、金額の大小じゃなかった。
紙に並んだ数字を見た瞬間、頭の中に別の記憶が割り込んできました。
若い頃、給料日翌日に飲みに行って、残高が想像以上に減っていて、でも“見なかったことにして”またカードを切った夜。
ボーナスが出たのに「自分へのご褒美」という言葉だけが上手くて、将来の自分への“ご褒美”は一度も用意しなかった季節。
そして何より、**「何もしないまま何年も過ぎていった」**という感覚。
ここが今日の、いちばんの違和感でした。
お金の話って、金額で殴られるように思いがちなのに、実際は、殴ってくるのは“時間”なんですね。
そして時間って、戻せない。
私はその当たり前を、紙の上で改めて突きつけられた気がしました。
読者のあなたが、仕事の締め切りや人間関係の気疲れで、家に帰ってきてソファに沈み込んだまま、スマホだけがやたらと進む夜があるなら、たぶん分かると思います。
**「考えたくないものほど、生活の隅に溜まっていく」**んですよね、しかも静かに、でも確実に。
月1回でいい、って言うのは甘えじゃなくて現実だ
私は若い頃、「ちゃんとやるなら一気に」と思っていました。
貯金も運動も勉強も、完璧な計画を立てて、完璧な自分になって、完璧に続ける。
でも、完璧な計画を立てた日は、だいたい達成した気になって終わるんです、計画だけが立派で、実行の席が空席のまま。
60歳になって、ようやく分かりました。
“月1回でいい”というのは、やる気のない言い訳じゃなくて、生活の現実に合わせた強さなんだ、と。
毎日やると言って挫折するより、月に一回、残高を見る、積立の状況を見る、引き落としを確認する、不要なサブスクを一つ切る、そういう小さな接触が、結果として“無関心”を減らしていく。
今日の私の小さな出来事は、たった一通の封筒を開けただけです。
でも、心の中の揺れは、封筒の厚みとは釣り合わないほど大きかった。
それでも、開けたあとの部屋の空気は少し変わりました。重いものが消えたというより、「重いものが何だったか」を言語化できた感じに近い。
私は気づいてしまったんです。
少額でも続けた人が一番強いというのは、才能の話じゃなくて、気分の話でもなくて、結局は“無関心にならない工夫”を積み重ねた人の話なんだ、と。
そして私は、無関心になる工夫だけは上手だった。だから今、こうして封筒にビビっている。
ここで、説教みたいなことは言いたくないんです。
あなたにはあなたの生活があるし、心がすり減る日もあるし、お金の不安を直視できない夜だってある。
ただ、今日の私が感じたのは、前向きでもポジティブでもなくて、もっと地味で、もっと生活っぽい感覚でした。
「数字を見るのが怖い」の正体は、数字じゃなくて、見ないまま過ぎた時間に対する後ろめたさかもしれない、ということ。
だから、月1回でいい。
月1回なら、たぶん、あなたの“しんどい日”を壊さずに済む。
壊さずに済むから、続く。
続けば、無関心の時間が減る。
減った分だけ、未来は少しだけ“分かるもの”になる。分からないものより、分かるもののほうが、たいてい怖くない。
私が今日、最後にやった小さな行動は、封筒の中身を、机の引き出しの奥にしまうのではなく、クリアファイルに入れて、あえて目につく棚に置いたことです。
格好いい行動じゃないし、気分が良いわけでもない。
ただ、もう“溜める側の自分”に戻りたくないという、ささやかな抵抗です。
あなたは今、机の隅やスマホの中に、見て見ぬふりをしている「お金の入口」を一つ持っていませんか。
今日じゃなくてもいい、でも、月が変わるタイミングに一度だけ、そっと触れてみるとしたら、いちばん最初に開けるのは、どの封筒になりそうでしょう。





