「“既読”がつかない夜」に、ちょっとだけ救われた話

冬の夜は、音が少ない。
窓の外で車が通り過ぎる気配も、遠くの信号が変わる気配も、全部いちいち丁寧に聞こえてしまう。暖房の風が止まった瞬間、部屋の空気がすっと冷えて、ああ、今日も一日が終わるんだなと、やっと身体が理解する。
コーヒーを淹れた。深煎りの豆の匂いが立つと、眠気より先に、何かしらの「気持ち」が目を覚ます。僕は60歳で、男で、こういう時間を“贅沢”だと思うようになったけれど、同時に、こういう時間をわざわざ作らないと落ち着けない自分を、少しだけ面倒だとも思っている。
今日のテーマは、ひとつだけ。
「連絡が返ってこない不安」ではなく、返ってこないことで逆に見えてしまう“自分の期待”の話をしたい。
誰かに言うほど大げさじゃない。けれど、確かに胸の奥で、ずっと小さく鳴っている音がある。あれを、今日はちゃんと拾ってみる。
返事がこない夜に、わざとスマホを裏返した
今日、起きた小さな出来事がひとつある。
夕方、買い物から帰ってきて、キッチンの隅に置いたスマホが何度も気になった。用はない。なのに気になった。
理由は単純で、昼間に、昔からの知人に一通だけメッセージを送っていたからだ。「最近どう?」みたいな、内容としては薄い、でも薄いからこそ“返しやすいはず”のやつ。返ってくるかどうかなんて、別に人生の問題じゃない。だけど、僕の指は勝手に画面を点ける準備をしていた。
通知は、ない。
既読は、ついている。
返事は、ない。
この瞬間に胸の内に浮かんだ本音を言うと、ちょっと情けない。
「忙しいのかな」でもなく、「まあそういう日もある」でもなく、いちばん先に来たのは、“自分の価値が測られている気がする”という感覚だった。
返事が来ない=自分が後回しにされている、みたいな。
その発想の幼さに気づいた瞬間、僕は自分に苦笑した。60年生きてきて、いまだに“返事の速度”で心を揺らしている。かっこ悪い。
そして僕は、スマホを裏返した。
机の上に置いたまま、画面を伏せる。たったそれだけの行為が、妙に儀式っぽくて、自分でやっておきながら少し笑えた。
でも、あの裏返しには、ちゃんと意味があった。
「見ない」というより、「見てしまう自分を、いったん休ませる」ための、小さな防波堤だった。
返事がほしいのは、相手じゃなく“安心”だった

返事が欲しいのは、その人の言葉というより、“安心”なんだと思う。
「自分はまだ、誰かの生活の中に存在している」
「自分の一言は、無視されない」
そんな確認が欲しい。大人なのに、いや、大人だからこそ、妙なところで確認したくなる。
同世代の女性って、たぶんこの感覚に心当たりがあるはずだ。
仕事の連絡は返ってくるのに、プライベートの返事が遅いと急に胸がざわつく。自分でも「そんなことで?」と思うのに、思うほどざわつきが消えない。
“気にしない自分”を演じるほど、気にしている自分が浮き彫りになる。
あれ、地味に疲れる。
僕は、返事が来ないことよりも、返事が来ないことで露呈する自分の期待に、少し驚いた。
60歳になって、人間関係の整理が進んで、「本当に必要な人だけ残ればいい」なんて言い切れると思っていた。実際、連絡が減る人は増えたし、昔みたいに“毎週誰かと会う”なんてこともない。
だけど、残っている関係ほど、なぜか「返ってくるはず」という期待も残る。
連絡が少ないからこそ、一通に込めてしまうものがある。
それが、ちょっと苦しい。
「既読」の小さな暴力と、自分の弱さ
夜になって、コーヒーを淹れながら、ふと考えた。
昔は“既読”なんて概念がなかった。電話をして、出なければ「出なかった」で終わる。手紙は返事が来なくても、届いたかどうかすら分からない。分からないから、想像で丸められた。
でも今は、届いたことが分かる。読まれたことも分かる。
分かるぶんだけ、期待も具体的になる。
そして期待が具体的になると、裏切られた感じも具体的になる。
既読は、便利な証拠であると同時に、静かな小さな暴力でもある。
言い過ぎかもしれないが、少なくとも僕は、そう感じる夜がある。
返事が来ないことを“相手の都合”として処理できない日がある。
その日はたいてい、自分の疲れが溜まっている日だ。
身体が冷えていたり、ニュースが暗かったり、ふと将来のことを考えたり。
そういう夜は、返事が来ないことが、まるで「世界からの評価」みたいに見えてしまう。
僕は自分のこの弱さを、あまり表に出してこなかった。
60歳の男が「返信がなくて不安」なんて、格好がつかないから。
だけど、格好をつけるほど、孤独が深くなることもある。
読者のあなたも、たぶん似た瞬間がある。
誰にも言わないけど、スタンプひとつで救われる夜がある。
逆に、何も返ってこないだけで、急に自分が小さく感じる夜もある。
「わかる…」って、声に出さないまま頷いてしまう夜がある。
僕は今日、その夜の質感に、ちゃんと触れてしまった。
返事を待つ代わりに、やったことは“ひとつだけ”
それで、僕はひとつだけ行動を変えた。
大げさなことじゃない。自己啓発でもない。
スマホを裏返したまま、テーブルの上を拭いた。
コーヒーの粉が少し散っていたから、布巾で拭いただけ。
その次に、マグカップを温めるためにお湯を少し入れて、捨てた。
それだけで、妙に呼吸が戻った。
この「小さな動き」が、今日の僕には必要だった。
返事が来るか来ないかは、僕の手の外にある。
でも、テーブルを拭くことは、僕の手の中にある。
その差を身体に教えるために、僕は布巾を握ったのかもしれない。
気づいたのは、ここからだ。
僕は“連絡が減ったこと”を成熟だと思っていたけれど、
本当の成熟は、連絡が減っても揺れる自分を「なかったことにしない」ことかもしれない。
揺れない人間になるんじゃなくて、揺れたときに自分を雑に扱わない。
返事が来ない自分を、責めない。
返事が来ない相手を、悪者にしない。
その間にある、ただの“寂しさ”を、きちんと置く。
この置き方が、たぶん大人の余白なんだろう。
もちろん、余白は綺麗じゃない。
余白には、モヤモヤも、見栄も、少しの嫉妬も入ってくる。
それを「いい話」にまとめてしまうと、かえって嘘になる。
僕は今日、返事が来ないことで少し傷ついた。
そして、その傷つき方がまだ子どもっぽいことも分かった。
でも、分かっただけで、今日は十分だと思っている。
分かると、少しだけ丁寧になれるからだ。
返事が来ない夜。
あなたは、スマホを見つめる代わりに、何をしますか。
その“何か”が、明日のあなたを少しだけ守るものだったりしませんか。





